北条五代記』(ほうじょうごだいき)は、三浦浄心が著した、後北条氏にまつわる話題を中心とした仮名草子・軍記物語。確認されている最古の版本は寛永18年(1641年)刊。万治2年(1659年)版が流布本で残存数も多い。ともに全10巻だが内容には改変がある。 『北条
10キロバイト (1,857 語) - 2022年1月10日 (月) 05:38



軍制は武田流を。統治システムは今川や北条のシステムを取り入れた部分は大いにあると思います。こういった部分が今回のどうする家康でも見れたらいいなと思います。




<関連する記事>



北条氏康が志した「関東独立国家」...領民の支持を獲得できた民主政治とは?
…、戦法、組織づくり、撫民政策に力を入れていく。氏康の戦法については、『北条五代記』に興味深い記述が3つある。 第一に、面白いことに、氏康は京から軍法の…
(出典:PHPオンライン衆知(歴史街道))

「江戸城の防御力は世界最高」記事の虚実
…もっともシェアされた疑問は、志学社代表取締役・星海社フェローで、『戦国北条五代』『戦国大名武田氏の戦争と内政』『上杉謙信 「義の武将」の激情と苦悩』(…
(出典:dragoner)

<ツイッターの反応>


酒上小琴【サケノウエノコゴト】
@raizou5th

天正壬午の乱の後始末。上野は北条、信濃と甲斐は徳川の領地とする。この判断が真田との確執に繋がっていく。真田の地、上野の沼田周辺を北条に渡す約束をしてしまったのだから、そりゃ怒るわな。納得のいかない真田がこのあとどのような行動を取ったかは #真田丸 でご存知の通り。 #どうする家康

(出典 @raizou5th)

惣一郎
@souitirou1

家康は大名としての威厳が出てきており、判断力もついてきた。 勝家と秀吉の争いにはどちらも味方せず、北条と旧武田領の切り取りに専念。 軍議では忠勝がやけに仕切るけど、これは徳川が配下にも自由に発言させるいい雰囲気ですよ、というのを表現してるのだと思う。

(出典 @souitirou1)

鈴林
@unatia_rinrin

北条の出番少なすぎて笑った。 そして申し訳程度に白兎の歌を歌う秀吉。 この頃って徳川は結構大きくなってたんだね。 unatia.net/ieyasu30/ #どうする家康

(出典 @unatia_rinrin)

Aleca🌈
@Aleca0316

上杉に関してはあのボロクソの状態で川中島四郡取れたのは上々なんだけど、徳川北条と比べて地図にして見てみるともうちょっと頑張って欲しかった感もある

(出典 @Aleca0316)

美兎子
@bitoko46

真田「ポーランドみたいに徳川・北条で分割するな」 #どうする家康

(出典 @bitoko46)

美兎子
@bitoko46

伊勢宗瑞(北条早雲)は今川氏配下だったから徳川と北条は元今川家臣といえる #どうする家康

(出典 @bitoko46)

リラ・ピーコック@越前国🍌🐠
@4Vy0xpeacock

#どうする家康 感想 ・徳川と北条の旧武田領を巡る争いの中で「沼田はわしのものじゃぁーーー!!」と矢沢の叔父上が暴れていたんだな...となる。 あれが創作じゃなくて、史実なのマジで「事実は小説より奇なり」 (そして、その後に例の北条の使者をぶっ殺して第一次上田合戦が始まるんだろうな...)

(出典 @4Vy0xpeacock)

くろのねこ@平平コンビ推し
@necowaltz

北条家とおふう(督姫)、池田恒興が初登場。恒興の孫(おふうの再婚相手池田輝政の息子)利隆に小平太の次女鶴姫が嫁ぐ。鶴姫が産んだ池田光政に平八郎の曾孫勝姫(平八郎の孫忠刻と家康の孫千姫の娘)が嫁ぐと…。忠刻の母は信康五徳夫妻の次女熊姫だし、織田・徳川・本多・榊󠄀原の血が池田家に集結…。

(出典 @necowaltz)

天地百八❖
@TenkouTisatu108

#どうする家康 徳川VS北条の黒駒合戦 御坂峠からやって来た北条軍は大軍だが徳川を侮っていたため兵を分散させ略奪を始めた。 そこを鳥居元忠らに突かれて総崩れ。 この戦には略奪を受けた地域の神座山権現や山宮権現、甲斐国二宮神社に村々も徳川方に協力したという 平山優先生「天正壬午の乱」より pic.twitter.com/yOoUA6XBMU

(出典 @TenkouTisatu108)

風の前の塵
@JQP1PXXHKyPpfp7

天正壬午の乱で、直前まで織田家柴田軍団に滅亡されかけてた上杉との戦いを避け、大軍も持ってして劣勢の徳川に退けられた北条なんだと秀吉が認識すれば「関東でぬくぬく…」なんて考えてもまぁ不思議ではないよね。

(出典 @JQP1PXXHKyPpfp7)